刷子(ブラシ)は明治7年(1874年)ころ、 フランス製刷子を手本として製造され始め「洋式刷毛」と称されました。 明治10年上野公園で開かれた第一回内国勧業博覧会において 西洋型として好評を博しました。 これらの洋式刷毛の製造に携わったのが従来の刷毛職人たちであり、 毛は馬毛、木材は樫、 穴をあけるにも手モミの錐というところから出発しました。 明治21年、当時百三十銀行頭取であった松本重太郎氏によって 日本最初の刷子製造会社が設立され、 幾多の研鑚を重ねた結果、 今日見られるような普及へと繋がってきたわけです。 ブラシ製造業は東京・大阪を中心に発展していきました。 産業界で新しい機械が出来てくると そこにはいろいろな工業用ブラシが使われるようになりました。 家庭では生活の欧米化が進み家庭用ブラシの需要が増えました。 それに伴い和歌山などのブラシメーカーは 大規模な機械による大量生産を始めました。 その後大阪・和歌山では工場の機械化がいっそう進みました。 一方東京ではもともと工業用ブラシ業者が多かったため 耐久性が高い手植えによるブラシが作られていました。 手植えブラシは引き線と呼ばれるステンレス線により 連続して植毛されているため、 一穴ごとに植毛されている機械植えに比べとても丈夫です。 このような理由から東京のブラシ製造業者は 伝統的な手植え植毛を続けてきたのです。 |