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木目込人形は 今から約250年ほど前の元文年間(1736−41)に 京都で生まれたといわれています。
京都の上加茂神社の神官に堀川某という人がいて この堀川家に使える高橋忠重という人が、 仕事の合間に祭りの道具を作った残りの柳の木で人形の原型を彫り、 それに神官の衣裳の端切を決め込んでは 人形作りを楽しんでいました。
加茂川のほとりの柳の木でつくられたので はじめは「柳人形」とか「加茂人形」あるいは「加茂川人形」などと呼ばれていましたが
これが今日の木目込み人形の起こりだといわれます。
木目込みという名は、衣裳のひだや布切れの境となる部分に 細い溝を彫り込み、そこに布を「きめこむ」ことから生まれています。
「きめこむ」とは もともと「極めこむ」と書き、 「中に入るものが、入れ物に隙間なく、うまく合うように入れる」という意味です。
衣裳着人形が藁や木などで胴体を作り、 それに衣裳を着せている人形であるのに対し、
木目込人形は桐材の粉をふ糊で固めた桐塑で原型(胴体)をつくり それに布地をぴたりと貼り付けて衣裳を着せたように作る人形であることから、
その名がつけられたものです。
衣裳の布地は一枚で、その下はすぐに原型の胴体であるために 原型づくりが木目込人形の命であり、
作風が如実に現れるところであるといいます。
東京産の人形は、京都産が王朝風のふくよかな顔なのに対し、 やや細面で目鼻立ちのはっきりした顔が特徴。
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