30.東京打刃物
「日本書紀」によると、わが国で鍛冶が行われるようになったのは
583年、敏達(びたつ)天皇(第30代 572−585年)の時代に
新羅から鍛冶工が招かれ、はがねの鍛冶法を習ったのが
始まりといわれます。
武士階級が台頭するにつれて刀剣職人が現れ、
技術も磨かれて、やがて、 軟らかい鉄で造り、
刃の部分にははがねをつけるという着鋼法によって、
ソフトでしかも切れ味の鋭い日本独特の刃物が生まれました。
1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと
各地から商人や職人が江戸に移住し、
幕府の御用職人の中には、
鋳物師や打物鍛冶師の名前も記されています。
江戸の総合案内ともいうべき「江戸鹿子(えどかのこ)」には
刃物に関する鍛冶の記録があり、
地打のものを扱う出刃包丁屋があったこと、
刀鍛冶が本業のかたわら剃刀や包丁などの
刃物を作っていたことがわかります。
江戸時代も中期に入り太平の世が続くと、
刀鍛冶の技術を生かして、
日常生活に必要な道具や刃物の製作にたずさわる、
いわゆる町鍛冶に転向する者も出てきました。
さらに江戸幕府が崩壊し、
明治4年(1871年)に廃刀令が公布されると、
ほとんどの職人は刀剣から業務用、家庭用刃物づくりに
転業せざるをえなくなり、
彼らは文明開化とともに伝来した洋風刃物の製作にも取り組みました