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釣竿には、一本の竹をそのまま用いる「延べ竿」と、 何本かのたけを継ぎ合わせて一本の竿にする「継竿」があります。
継竿が出現したのは口伝によると 「平安時代末期の治承4年1180年に京都で発祥した」
とありますが、これを裏つける資料は現存していません。
しかし、京都が発祥地であることは、 江戸時代初期の延宝3年(1675)にだされた俳書の中に
「いれこ竿」が登場することからわかります。
一方、江戸における継竿の発祥は、京都より遅れ、 享保年間(1718−35)と思われ、 その製造技術が一大飛躍を遂げたのは、 江戸時代の天明8年(1788)に創業された 「泰地屋東作」に負うところが多いと言われています。
ちなみに、現代の江戸和竿職人の系譜を溯ると、 大部分の人が初代泰地屋東作にたどりつきます。
江戸和竿とは、何本かの異なる竹 (布袋竹、矢竹、淡竹、真竹)を継ぎ合わせて
一本の釣竿にする「継竿」のことをいいます。
和竿作りは、まず竹の選別から始まります。 竹林へ直接足を運び、一本一本吟味していきます。
良竹は、百本のうちせいぜい一本か二本ぐらいだといわれています。
その後、約一ヶ月天日で乾燥させます。 布袋竹、矢竹、淡竹、真竹一本一本の竿の調子を出すためには、 竿の設計図ともいわれる「切り組み」がもっとも重要です。
釣る魚、釣り方、釣り場、使用条件などを考えて、 もっとも使いやすい釣竿になるように竹を選定します。
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