13.江戸つまみ簪
[簪」 は「髪刺し」に由来するともいわれます。
古代においては、先のとがった細い棒に呪力が宿ると信じられ、
髪に一本の細い髪刺しを挿すことによって魔を払うことができる
と考えられていました。
今日でいう「簪」はこの「髪刺し」ではなく、 江戸時代の初めに、京都で作られていた花びら簪の一つの技法が、
江戸に伝わって発達したのが起こりといわれています。
薄地の布を正方形に小さく切り、 これを摘まんで折りたたみ、組合わせることにより、
花や鳥の文様を作る「つまみ細工」のことです。
江戸時代中期になると、櫛、簪、楠玉などが作られていたようです。 これらは彩りもきれいで、値段も手ごろであったため、
参勤交代の折などの江戸みやげものとして喜ばれたといわれています。 福島県会津若松市の「白虎隊記念館」に陳列されている遺品の中に
「つまみの楠玉」が あり 江戸からの土産物ではないかといわれています。
江戸時代の社会風俗を描いた「守貞慢稿」(もりさだまんこう) には「文政期(1818−30)頃、女性の島田髷の背の方に白、
青、赤、紫などの縮緬の小片を集めて、菊の花や鶴の形をしたものを 簪として用いた。」と記されています。
江戸時代後期から明治初期にかけて活躍した浮世絵師の描いた婦人図
の中にも、つまみ簪と思われるものを見ることができます。
今日、つまみ簪は東京が主要な産地です。 お正月、七五三、十三まいり、成人式、結婚式などで
女性の着物姿を一層ひきたたせています。